略歴
千葉県夷隅郡夷隅町(現いすみ市)出身。千葉県立大多喜高等学校を経て、1978年に明治大学経営学部卒業。大学在学中は落語研究会に所属。同会に受け継がれた「名跡」である「紫紺亭志い朝」(六代目)を、当時五代目の立川志の輔から襲名。四代目は三宅裕司。
大学在学中の1977年劇団テアトル・エコー養成所に入所。ここで一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰とコントグループ「コント赤信号」を結成。1980年フジテレビ系『花王名人劇場』でデビュー。「MANZAIブーム」を初めとしたお笑いブームの最中、人気コントグループとしてテレビを中心に活躍、「赤信号」のリーダーとしてお茶の間で人気を博す。
1988年から1996年まで日本テレビ系で放送されていたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で逸見政孝(逸見の死後は、当時日本テレビアナウンサーであった福澤朗とのコンビ)を補佐するサブ司会者を務め、逸見を立てつつ場を盛り上げる司会振りが高く評価されて90年代には多くの人気番組でサブ司会者として活躍。「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった。
この手腕は、中京テレビ制作『あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!』ロケにおいて、共演の高田純次、大竹まことの脱線・暴走を上手くコントロールする場面でいかんなく力を発揮。それでも高田の手にかかると、「ナベちゃんたら、ダテに『おはようクジラ』の司会やってたんじゃないのねッ!」「さすが、まとめ役!」と評されてしまう。
現在レギュラー出演中の『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)では関根勤と並ぶ「笑い上手」として番組を盛り上げている。
また若手お笑い芸人の育成に積極的で、1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主宰。所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはウッチャンナンチャン・ダチョウ倶楽部・爆笑問題・海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)ら、現在活躍するお笑い芸人たちも多数出演している。テレビ朝日系の『M-1グランプリ』では2005年・2006年の決勝で審査員を務めるなど、現在も後進の育成に力を入れている。
『クイズ!ヘキサゴンII』の準レギュラー兼、上位常連でもあり、1位になったことが8回ある。