概要
2人共に柳家金語楼一座に属する落語家であった(千太のみ金語楼の弟子)。
結成のきっかけには二説ある。
金語楼は吉本興業の芸人であり、上方・吉本のしゃべくり漫才、横山エンタツ・花菱アチャコの成功を間近で見た。それに触発され、試しにこの2人に高座で掛け合いを演じさせて漫才コンビに仕立てたという説。そして、2人の雑談を面白がった日本コロムビアのディレクターが漫才転向を薦めたという説がある。 『昭和 高座の名人たち』小島貞二執筆の項
1934年に正式に漫才コンビ結成、日本コロムビアの廉価レーベルであるリーガルレコードの専属になり、リーガルの屋号を名乗る。戦時中は敵性語の使用禁止で柳家千太・万吉に暫時改名した。
レコードは売れに売れ、別名義で他社から発売した分も含め 内職かどうかは不明 吹き込んだSP盤は200枚に達し、東京漫才界の最高を記録。戦後はラジオにも活躍の場を広げ、『やきとり』『ぺり住まい』等の演目を十八番とした。サラリーマン同士の会話のような淡々とした掛け合いを基調とする芸風で、共に落語家出身らしい間と口調は今なお高い評価を得ている。