来歴
同志社大学中退後の1965年に東映入社し、スター俳優であった高倉健の付き人として活動する傍ら、他のチャンバラトリオのメンバーと同じく端役・斬られ役として映画に出演していた。1968年、病気療養中だった南方英二の代役としてチャンバラトリオに加入、主にツッコミを担当し、ガラの悪い役なども多く演じた。南方の復帰によってチャンバラトリオはトリオではなく4人組となったが、結城は脱退せず、そのままメンバーとして在籍した。
1980年、同じ吉本興業所属芸人のWヤング・中田軍治が借金苦で1979年に自殺したのをきっかけに、月亭可朝・間寛平と共に結城が野球賭博に関与していた事実が明らかになり、3人は略式起訴され、結城は謹慎。謹慎期間が明けた後にもしばらく活動したが、1983年に脱退した。
1990年には再びチャンバラトリオに復帰。この時期には日本テレビ系『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』内の「人間性クイズ」の仕掛人として度々登場(「結城哲也はSMがお好き」というコーナーが存在した)。だが、同じくチャンバラトリオのメンバーであった伊吹太郎が借金問題で吉本興業を解雇され、脱退。同時に結城も俳優に転向することを決意し、再びチャンバラトリオを脱退した。
その後は『極道の妻たち』などでヤクザ役を演じるなど活躍。現在では長寿映画・Vシネマシリーズ『難波金融伝・ミナミの帝王』に沢木の親分役でレギュラー出演しているほか、同作品のプロデューサーとしても名を連ねている。ミナミの帝王を製作するエクセレントフィルムとは関係が深く、同社が製作する映画・Vシネマの多くにプロデューサーとして関与している。