これまでの歩み
名古屋吉本での下積み時代
1996年、大学中退後にNSC(吉本総合芸能学院)入校、また吉本タレントオーディションにも合格し、名古屋吉本4期研修生となる。同期には笑い飯やライセンス、名古屋吉本の先輩にはタックインや上京後にスピードワゴンを結成する井戸田潤・小沢一敬らがいた。以来吉本興業東海支社所属のタレントとして「Get-Ⅱ」などのコンビを経て、星野竜也と「SABOTEN(お笑い)」というコンビを組んでいたが、2003年に解散。その後、ピン芸人として舞台に立っていた。
東海ラジオへの抜擢
山浦にとって大きな転機になったのは、名古屋でテレビレポーター・ラジオパーソナリティーとして活動していた坂口美奈子との出会いである。坂口とはぴーかんテレビ 元気がいいね!(東海テレビ)のレポーター同士であったが、2004年4月からスタートした松原・坂口の土曜はど〜よ!?(東海ラジオ、以下「どーよ」)の中継レポーター選考にあたり、坂口が東海ラジオに山浦の推薦状を提出したことで同番組の出演が決まった。その活躍が認められ2004年10月にスタートした2COOL!、2005年4月にスタートしたヒッツ・サンデーのパーソナリティーに抜擢。また、2004年11月の東海ラジオ45周年特別番組ではメイン企画の45Kmウォーキングに山崎聡子(東海ラジオアナウンサー)と出演した。そして2007年4月には「土曜はど~よ」の後継番組として、初の冠番組「山浦ひさし 全力疾走」がスタートした。しかし、レポーター・パーソナリティーを活動の中心とするにつれ、芸人として舞台に立つこととの両立が難しくなり、2005年春に吉本興業から独立、現在はフリーで活動をしている。
しかし、公開放送等でネタを披露することもあり、「芸人としての活動も徐々に再開させていきたい」と語っている。
結婚
2004年7月に名大在学中からの同級生と12年越しの交際の末結婚。この女性は下積み時代薄給の山浦をひたすら支えており、「土曜はど~よ」へのレギュラー出演が男としてのケジメをつける契機となったと言える。しかし名古屋吉本は、アイドル的である山浦が結婚したことを公表することによる女性ファン離れを懸念し、結婚の公表を伏せるように山浦に求めた。また、結婚式当日「土曜はど~よ」を休むことになっていたが、ちょうどその日が野球中継で放送がなくなったことで結婚の事実はリスナーに知られることはなかった。しかし自ら公表するタイミングを失うことともなり、公表は名古屋吉本退社後の2005年4月の「土曜はど~よ」の放送中に坂口が山浦に代わって結婚していたことをカミングアウトする形となった。なお、2008年9月この夫人との間に男児をもうけている