経歴
東京で生まれ、3歳で広島県広島市に転居する。圭一という名前は母親がファンだという俳優山本圭から採られた。
広島大学附属東雲小学校(学力試験はない)地元の公立中学校に進み、高校は私立広島県瀬戸内高等学校へ進学、野球部に入部したが20日間のみの在籍だったという。
野球部を退部後、サッカー部に移籍し数ヶ月籍を入れた後に当時同郷で「ブレイクダンスの神様」と言われた風見しんごらが流行らせたブレイクダンスに夢中になった、広島平和公園等で踊り観光客の注目を浴びた。
高校卒業後上京し、天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島に戻る、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤と出会い加藤の本名が“浩二”(“山本”という名字と合わせると山本自身がファンである広島東洋カープ所属の山本浩二と名前が同じになるため)と聞き運命的なものを感じてコンビを組む。
1989年、月謝の滞納が続き金銭的に苦しいと思っていた所、雑誌の切り抜きに“吉本興業、東京進出! 新規芸人募集!”の広告記事が目に付いた、これに飛び付き加藤とともに吉本興業入りし「極楽とんぼ」を結成、『新しい波』のディレクターだった片岡飛鳥(現在はめちゃイケ総監督)に舞台で見出され抜擢され、『めちゃ²イケてるッ!(めちゃイケ)』の前身『とぶくすり』出演でブレイクした。
2002年11月2日、桜美林大学の学園祭の「お笑いライブショー」に出演した際、加藤・観客から下半身を露出を要求され、舞台上で数秒間露出。一部の観客に通報され、警視庁町田署により公然わいせつの疑いで加藤と共に書類送検される。(加藤は「公然わいせつ強要」の疑いで書類送検)この事件が原因で当時「極楽とんぼ」として出演していた天才てれびくんの司会を降板する事になった(事件発覚後NHKに「極楽とんぼを降板させないで欲しい」という要望が多数寄せられたが、NHK側はこの不祥事を重く見た上で「当番組の司会および、今後放送される当局の番組に出演させるタレントとして相応しくない」と判断、一方的に降板された形となった)この事件はTBSラジオ「極楽とんぼの吠え魂」での罰ゲーム企画で10月下旬に行った包茎手術の話題から、加藤や観客が露出を要求したためとされる。町田署での事情聴取の後、口頭で厳重注意を受けるものの山本・加藤共に不起訴扱いとなった。さらに過去のトラブルの多さが災いした事もあり山本だけがクローズアップされてしまう形となる。
2003年6月、写真週刊誌に山本と一時期交際していたと称するホステスの女性(当時23歳)のインタビュー記事が掲載される。その記事によると同年1月、山本は女性に「子供作ろうか」と持ちかけ、同年5月に妊娠した事を打ち明けられた際、態度を豹変させ「俺の名前に傷が付く!そんな子供一生会わない!」と激怒し、中絶費用を渡して中絶させたという。当時所属していた吉本興業によると山本は中絶させた事実を認めたという。当時出演していた極楽とんぼの吠え魂においては、「今は触れられない」という主旨の発言をしている。当時レギュラー出演していた「めちゃイケ」は、報道がなされた週にこの件をネタにしたと思われる内容を含んで放送している。当該女性は翌年2月に「夏樹レイナ」という芸名で、山本との関係を連想させるタイトルのアダルトビデオに出演した。
2006年6月、芸名を「圭壱」から本名の「圭一」へと改名。
芸能界追放
2006年7月16日、茨城ゴールデンゴールズ遠征試合で訪れた北海道函館市にて、同席していた未成年の少女から「酒を飲まされ強姦をされた」という内容の被害届を17日に提出され、同日北海道警察函館西警察署より事情聴取を受ける。この日ゴールデンゴールズの試合が行われていたが、この時萩本欽一監督とメンバーは事件の詳細を知らなかったため、欠場理由を「体調不良」として当日集まった観客に説明し、そのまま予定通り試合を行った。
7月18日、所属事務所の吉本興業は、上記不祥事の報告を本人から受けて「専属芸能家契約の解除」を発表した。
7月21日、ゴールデンゴールズ監督の萩本欽一は、これを連帯責任であるとしてチームの解散を示唆した(解散案についてはスポンサーや後援会らの説得で後に撤回)。また、球団は同日付で山本の登録抹消と除名処分、同席していた2人の選手の当面の謹慎処分を発表した。
7月19日午後、吉本興業東京本部での記者会見上で、水上晴司取締役制作・営業統括本部長などが山本圭一の芸能活動の中止とお笑いコンビ「極楽とんぼ」の解散を文書で発表した(会見には本人は出席していない)。また、出演していたTV番組やラジオ番組のほとんどが、放送中止又は出演部分がカットされる措置が取られた。
上記の会見後、この事件の影響を重く見た吉本興業は所属するタレント全員に対し「当面の間飲み会及び合コンの類を禁止する」と通告する、という前代未聞の処置を施した。
8月29日、北海道警函館西警察署は山本を強姦の容疑で書類送検した。なお、読売・朝日・毎日新聞は「山本容疑者」、産経新聞は「山本元メンバー」という呼称を使って報じた。
10月3日、被害者である少女とその保護者との和解が成立し、被害者が告訴を取り下げた事で函館地検は不起訴処分とした。
芸能界引退後
山本は現在、野球を通しての知り合いを通し東京都から宮崎県日向市に居を移しているとされる事が2007年3月放送の「アッコにおまかせ!」で公表された。現在は地元の青果市場でバイトをしながら、ホームヘルパー等いろいろな資格の取得に励み、空いた時間はサーフィンとボランティア活動を行うという生活を送っている(前年、延岡市でヘルパー、特殊小型船舶、小型船舶、フォークリフト、パワーショベル、普通自動二輪、大型自動二輪、大型、大型特殊、けん引、サーフィンのインストラクターを取得)。現在の宮崎県知事でタレント時代に似た様な境遇の過去を持つ東国原英夫(元お笑いタレント・初代そのまんま東)は「気が向いたら知事公舎に遊びに来てください」と声を寄せていた事も明かされた(また、宮崎市在住で、茨城GGの姉妹チーム「宮崎GG」のGM片岡光宏も山本の球界復帰を助言している)。2007年1月12日には、日向市お倉ヶ浜総合公園野球場内でキャンプに訪れている茨城GGの萩本監督と茨城GGメンバー全員に謝罪した。その際にスーパーモーニングのインタビューにて、事件の詳細に関連する質問に対し「事件については被害者とその家族の事もありコメントできない、悪いのは自分」と反省の弁を述べた。芸能界の復帰についての質問には、「まだ何も決めていない。まだ謝らないといけない所があるので」とコメントした。2008年1月26日、ニッポン放送『アッコのいいかげんに1000回』の中で、パーソナリティーを務める和田アキ子が、(山本は)宮崎県内のスーパーで働いていると語った。その後、宮崎県内にBAR「オアシス」をオープンしている。