略歴・人物
陣内智則、ハリガネロック、中川家、たむらけんじらと同期の大阪NSC11期生。同期生で松口祐樹(後のユウキロック)とのコンビを解散したばかりだった小林友治(後のケンドーコバヤシ)にその独特のギャグセンスを高く買われ、1995年に「モストデンジャラスコンビ」を結成。一部で高い評価を受けていたが、村越が2000年に突然「歯科技工士を目指す」と言い出し廃業、コンビは解散する。理由は村越自身が元来の小心者で舞台に立つ緊張に耐えられなかったためであり、プレッシャーによる苦痛から逃げたいあまり、いつでも死んでいいよう目を瞑りながらバイクを運転していたと、テレビで証言されている。コンビ解消はコバヤシとの不仲が因ではなく、コバヤシが「あいつ、ええ奴なんですよ」と村越を語るように、解散後も素人としてコバヤシの出演番組に度々ゲストとして登場している。
歯科技工士を志したのは白衣を着る仕事がしたかった為であるが、歯科技工士は特に白衣を常用する仕事ではなく、専門学校の講師に不器用と言われて辞め(合格率99%といわれる国家試験を奇跡的に不合格となった)、そして沖縄県でコロッケ屋を開店するも長続きせず、職を転々としていたが、あるときバッファロー吾郎とコバヤシの番組『スッごい!おとなの時間』の公開収録に出演。その際に刺激を受けたのか、2006年に突如フリーのギャグ芸人として復帰宣言し2006年5月7日「もうギャグしかしない」をワッハ上方演芸ホールで開催した(後にこのライブを収めた自主制作DVDもリリースした)。
自らギャグ芸人と銘打ったのは、コントやその他の活動による緊張に苛まれず、得意とするギャグのみに専念する活動を行うという意図によるものであるという。敢えて事務所に所属せず、立場をフリーとした事も、ギャグ以外の活動を行わない為の決意であったという。ただし、吉本興業のイベント(COWCOW主催のギャグトーナメント「秒殺」など)に出演する事もある。
2007年1月6日には「もうギャグしかしない2」9月8日「もうギャグしかしない4」を開催。2007年はR-1ぐらんぷりに出演し準決勝で敗退。2008年1月9日放送の『あらびき団』でピン芸人として初めて全国ネットでネタを披露した。また、同年3月22日放送の『世界一短いギャグ祭!お笑いメリーゴーランド』ではFUJIWARA・原西孝幸、COWCOW・多田健二、サバンナ・八木真澄と共に「FUJIWARA原西チーム」の一員として出演している。
現在はフリーライブ「怒涛のギャグ10連発!!」というイベントを北堀江にある「deltatune」という店で開催している。
村上ショージ、FUJIWARA・原西孝幸、サバンナ・八木真澄、ジャンクション・下林朋央などと並ぶギャグマシーンと呼ばれている。