来歴・人物
泉佐野市立長南中学校,浪速高等学校卒業後、吉本興業に入り、白木みのる、ルーキー新一に師事する。付き人生活を終えて、吉本新喜劇に入団。やがて、木村進、間寛平らが新喜劇に入団し、若手の活躍が増えると共に室谷も、次第に薄くなってきた髪の毛のネタで脚光を浴びる。1980年頃から木村進、間寛平と共に新喜劇の主役として出演した。1982年には座長に昇格した。
故郷の泉佐野市が、タマネギの生産地で有名だった為に、タマネギのネタが多かった。また、若くして頭髪が薄かったことを、舞台上にて何度もイジラレている。だが、最もインパクトの有るギャグは「わ~~~~~ れ~~~~~~っ!!!」という泉州弁の叫び声で、美声の持ち主である事も証明した。テレビ番組では、『モーレツ!!しごき教室』にレギュラー出演し、『あっちこっち丁稚』では小番頭の役で、人気を博した。
それまで病気で新喜劇を休演することは一度も無かったが、声を使いすぎたためか、咽頭癌にかかり、1985年頃に声帯を切除する手術を行った。そのため声が出にくくなり、休養の後、芸能界を引退した。
2006年現在、ゴルフ場で働いているという。また、タクシー会社に勤務し、運転手を一時勤めていた、という情報もある。尚,関空建設反対運動に関わって居た漁師とも友達である。
1980年代、同じく身体障害者となった木村進と共に、吉本新喜劇中の悲劇の役者といえる存在である。若かりし頃の間寛平は公私に渡って世話になったといい、現在でも『クロ兄さん』呼んで慕っている。現在でも「吉本新喜劇は観る事は出来ない」との事であるが、病気による引退とはいえ、新喜劇内での看板役者であった事実もあり、現在でも芝居の世界から引退した事実を惜しむファンも存在する。また、前述の叫び声のギャグは現在でもしょっちゅうオール阪神や宮川花子が真似する事が多く、他の吉本興業所属芸人にとっても、室谷の存在は大きかった事を物語っている。