都家文雄(みやこや ふみお、本名・苗村正治、1893年 - 1971年5月4日)は大正・昭和期の漫才師。
滋賀県三上山の麓に生まれる。最初は落語家を志し桂三路(後の2代目三遊亭圓若)門下で桂歌路を名乗る。1970年神戸新開地千代廼座が初舞台。戦後の落語の凋落と伴い漫才師に転身。都家美智代と組んだ。その後は都家静代、芦乃家雁玉、1960年より荒川歌江と組む。晩年は関西演芸協会会長を長く務めた。弟子に人生幸朗・生恵幸子、山崎正三・都家文路、都家文広、東文章・藤野団楽等がいる。「ぼやき漫才」の創始者で弟子の人生幸朗・生恵幸子が受け継いだ。エピソードとして最後の相方、荒川歌江がとどまることを知らない文雄のぼやきを止めるのに苦労したという。
1966年、大阪府民劇場賞受賞。第8回上方演芸の殿堂入り。