人物・来歴
愛知県田原市出身。愛知県立成章高等学校を経て、1995年、東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科卒業。血液型A型。
幼馴染であった大久保佳代子と早稲田大学のお笑いサークル・寄席演芸研究会でコンビ「オアシズ」を組みメジャーデビュー。
売れない時代から現在まで、毒舌系キャラとして地位を確立。特に高学歴・高学力を活かした表現のボキャブラリーの豊富さは、同系統の女芸人の中では随一である。
2005年4月15日放送の日本テレビ系バラエティ番組『プリティガレッジ』内コーナー「資格家の人々」で、さまざまな資格取得に挑戦。なまはげ伝道士の資格を取得した。
また、2005年9月4日放送の『パネルクイズ アタック25』(ABC系列)の特別企画「芸能人・知識人最強ペア決定戦」でモンキッキーとコンビを組み、優勝を果たした。
かつて事務所社長からピン芸人として活動するよう話があったが、「私はオアシズの光浦です。オアシズを解散するときは私が芸能界を辞めるときです」と言って断っている。
「青木さやかとは犬猿の仲」と噂されているが、『愛のエプロン』で一緒に餅つきをしたり、『ロンドンハーツ』の「格付けしあう女たち」では隣同士に座ったり、意気投合したり、テレビ番組で何度も共演している所がよく放映で見受けられる。これらを見る限り、犬猿の仲というのはリップサービスのようである。
愛知県田原市(東三河)出身ということもあり、三河弁も特徴的である。
団鬼六のファンである。
2007年7月20日に脳動脈瘤の処置を行うため、入院した。腫瘤(しこり)は頭部表面の血管で発見され、緊急的なものではなく予防的な手術とのこと。ファンサイトのBBSに本人からの書き込みがあり、30日時点で手術はすでに終了し(書き込みの内容から、手術は23日~25日あたりに行なわれたと思われる)、術後の経過も良好とのことである。
友人のKABA.ちゃんの8月2日分のブログには、退院祝いとして光浦本人に鍋を作ってもらったとの書き込みがあり、光浦自身の後ろ姿の写真も掲載されている(ただしあまりにも遠すぎて、実際に本人なのかは判然としない)。なお腫瘤自体の発見は半年ほど前のことで、スケジュール調整は事前に済ませてあった。経過しだいでは同月末にも復帰を考えているとの報道があったが、1ヶ月ほどずれ込んだ8月23日、文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』で復帰した。退院からそれほど経っていないせいか興奮すると手術痕が痛む模様で、頭に氷のうを当てながらの出演となった。
悲劇のエピソード
- 裸でエプロンと言うものがどういうものか知らなかったため、風呂あがりに1人で裸エプロンをした。だが、エプロンがスヌーピーの柄のエプロンしかなかったためそのエプロンを着てみたのだが、それは、上京するときに母親がくれたものだと気付き、スヌーピーと母親の両方を汚してしまったと言う。その話を聞いたロンドンブーツ1号2号の田村亮は、「そんなに泣ける話ではない」と言った。
- 妄想で恋愛をすることが趣味であり、SMAPの木村拓哉に誘われた妄想話をしたのだが、放送禁止の内容なため詳細は不明。
- 長女なのにあかの他人のお下がりの服を着ていた。
- 大学1年生の時一度だけ、「押入れの湿気取り」を万引きしたことがある。
- エレファントカシマシの宮本浩次のファンであるため、頻繁にライブを観に行くが、芸能人オーラがないため、周囲に全く気づかれない。
- 大学時代に彼氏を相方の大久保佳代子に略奪されて(と言われている)以降、ずっと彼氏がいない。またお互いに彼氏について仮名で交際し本名を教えてもらえなかったため、「本当に彼氏は存在したの?」とよくツッこまれる。
- クリスマスの日に、一度も彼氏と過ごしたことがない。
- ファーストキスの相手は、ウド鈴木である(番組の企画上の成り行きによる)。
- 『芸恋リアル』の前身のスペシャル番組で妻夫木聡に告白したが、芸能プロダクションから「光浦さんとお付き合いすることは考えられません」という返事が来た(妻夫木本人が出演し、返事をするVTRはなかった)。
- インフルエンザで寝込んでいたときに、誰からも「大丈夫?」などと言われなかった。
- 料理は得意で、『愛のエプロン』でカニ爪フライとカニクリームコロッケを作ったときには「特エプ」にランクインしたほどの腕の持ち主。特に和食・洋食が得意なのだが中華・デザートは苦手なようで、クリスマスケーキを作った時には、エプロン番付けで最下位になってしまい、チーズケーキを作ったときにはランキングボードに張られなかったりと、料理の腕には当たりはずれが多い。2005年3月8日に放送された『愛のエプロン』で中華丼を作ったときに、試食した勝俣州和から「死んでくれねぇかなぁ…」と言われ、今まで当番組で積み重ねてきた努力と苦労が木端微塵に砕かれ、ショックのあまり涙を流した。ちなみにこの回を最後に、『愛のエプロン』には出演していない。
- 『めちゃ²イケてるッ!』が始まって間もない頃、テレビ雑誌『週刊TVガイド』の『めちゃイケ』の特集記事の中で年齢を2歳サバ読みしていたことを岡村隆史に暴露され、最後は『特製イケてるスーツ』を着せられ処刑された。
- それから11年後『おかもんたの朝メチャッ!』で、エステに20万円(自身の著書の印税で行ったらしい)をかけたことが発覚。全く変化がなかったため、おかもんたに「そんなところに金を使うぐらいなら、夕張市に寄付をしろ!」と罵倒された。
- 兄嫁に「靖子さん」と言われるだけで嬉しい気持ちになる。
- 「光浦ぁ~!!」と言われ追いかけられながら、石を投げられることがある。本人は「人気がある証拠」としている。
- 「一人ぼっちで寂しいためペットを飼いたい」と、マンションの住民アンケートに書いたのだが、ペット禁止のマンションだったため、即刻却下された。
- 12時間寝ても寝たりない・訳の分からないことを言う・突然泣き出すなどの症状から34歳で「更年期障害ではないか?」と言う疑いをかけられた。
- 「抱かれて仕事がもらえるならばそんな嬉しいご褒美はない」と思い、若手の頃「芸能界ってそういう所でしょ?」と何人も誘ったが、当然のごとくお断りされたことがある。
- 想像妊娠したことがある。
学力に関するネタ
- 高学歴タレントとして著名で、『めちゃ²イケてるッ!』の「抜き打ちテスト」シリーズでは、開始から2004年まで出場した4回全てが優勝という、前人未踏の大快挙を達成。先生役の岡村隆史らを驚かせた。特に2004年秋に開催された「国立め茶の水女子大学附属高等学校」では、最大のライバルと謳われた天敵・麻木久仁子との頂上決戦をわずか2点差で退けて(光浦453、麻木451)、遂には「デキまん」の称号までも得た、まさに抜き打ちテストシリーズ史上最強の女子生徒と言える。しかし、5回目の出場となった2006年10月7日放送の『めちゃイケ10周年SP』では、麻木の440点に対して光浦は433点と7点差で惜敗し2位となり、V5を逃してしまい屈辱の女王陥落。光浦黄金時代に遂に幕を下ろす形となってしまった。
- 母校・東京外国語大学から、直接手紙で「『英語ができる』とテレビで言うな」とクレームがきた。
メガネのネタ
- 視力は0.1以下。コンタクトレンズは痛いからつけないとのこと。したがって、メガネは度入りで、決して一部で噂されるように伊達メガネではない。ただしプライベートでは「メガネを取ると変装になる」との理由からコンタクトレンズを使うこともある。<ref name=janken>『おごってジャンケン隊』(現代洋子、小学館)第1巻 pp.125 - 130
- 「メガネをかけてこれ以上ブスになったら困る」と言う親の思いから、2年間眼科に通い続け、よく分からない器具をつけながら視力矯正を図ったが、結局視力が良くなることはなかった。
- 2007年6月9日の『めちゃ²イケてるッ!』のシンクロナイズドテイスティング中、ハリセンボンがオアシズに変わって中国チームとして出場。その時に彼女らにテイスティングさせる係として出場し、ハリセンボンが水中に落ちて上がったとき近藤春菜に「何でメガネを落として上がらないのよ!」と罵倒した。しかし、その後自分が水中に落とされて上がるときに顔にメガネがかかっていたことを、近藤達につっこまれていた。
- 「メガネ塚」と言う、壊れためがねのお墓があり、そこにメガネを保管している。メガネ塚に入ったメガネは本人曰く「メガネ戦士たち」。
- 「メガネが似合う女性タレント」で、第1位に仲間由紀恵が選ばれたことに対し、光浦の母親が「仲間由紀恵さんなんてメガネかけとらんのにねぇ。やっちゃん毎日かけとるのにねぇ」とこぼしていた。(『ロンドンハーツ』出演時の発言)
- 上の発言が引き金となったためか、その後「メガネが似合う女性ランキング」(オリコン調べ)で、2006年7月、2007年1月の調査において2回連続の総合2位となった。そのほか、第19回日本メガネベストドレッサー賞(2006年)でも、芸能界部門で受賞している。また同年代(30代・40代)からは「メガネが似合う女性タレント」で第1位になっている。
容姿に関するネタ
- スタイルは良いらしく、『めちゃ²イケてるッ!』では黒のパーティドレス姿を披露し褒められている。2004年夏期に日本コカコーラ社が発売した爽果発泡のCMでビキニの水着姿を披露したことがある。もちろん前者の『めちゃ²イケてるッ!』はだまし討ちの「期末テスト」というドッキリ企画(褒められたのもドッキリと気づいた後)で、このような事が多かったことから、後者のCMも実際に放映されるまでは「ドッキリではないか? 」と、光浦自身疑っていた。
- 飯島愛から「整形しないとダメ!!」と言われたが、勝俣州和からは「整形してもダメ!! 生まれ変わるしかない!!」と言われた。
- 母親が「きれいな歯にしよう」と思い歯科矯正をしたが、歯茎とあごの成長が始まる前に行ってしまったため、逆に歯並びが悪くなってしまったことがある。
- スタイルがいいのだが、顔とのアンバランスさから「モンタージュみたい」とよく言われる。
- グラビアトークオーディション出演時にウエストのサイズを測定した所、シャツとセーターとババシャツの上から測定したにもかかわらず61.5cmしかなかった。
- 小さい頃から近所の人たちに「経理顔」と言われていた。
- 小学生の子役に、「カマキリみたい」と言われた。
- 普段メガネ姿ですっぴんでテレビに出ているため、メガネを外し化粧をすると「意外とかわいい」との意見も。<ref name=janken />
外国人との話ネタ
- 若手の頃、相方・大久保佳代子と、上野公園でネタの練習をしてたとき、通りかかったイラン人が「チョットオ話シシテイイデスカ」と言われたので3人で話をしていると、イラン人が突然「ドッチデモイイデスヤラセテクダサイ」と言ってきたため、光浦はナンパをされたと思い込んでいる。
- 母親から「やっちゃんは日本じゃない。外国でモテる」と言われ育ったため、外国に行けばモテると思い東京外国語大学を卒業したが、『ロンドンハーツ』の「格付けしあう女たち」で、「外国人ビジネスマンに聞いた 彼女にしたい女」のワースト1位に。しかし、光浦を第1位に選んだ韓国人からは「明るくて素敵」、イタリア人から「僕が変えてみたい」と言われ、カナダ人の方は、「1位は光浦さんしか考えられない」と言う理由を書き、1位以外を空欄で書き、電話番号とメールアドレスついてはセンスがいいとほめた。また共演した楠田枝里子にも、「光浦さんのようなタイプは、外国の方にモテる」と言われたため、多数の外国語で外国人の恋人を募集した。
- 中国の山奥で、「絶世の美女、黄金比率の顔」と言われた。
その他のネタ
- 喫煙者であったが、現在は禁煙している。
- よゐこの濱口優に、かねて同性から褒められていた自分の胸が美乳である事を広めてもらおうと、皆に宣伝する事を条件に500円の対価で乳首を見せたことがある。1000円で全裸を見せるとのこと。
- 自宅の居心地の良さを追求していった結果、実家みたいになった。
- 青木さやかが、彼氏と破局したことを真っ先に伝えたのは光浦靖子である。
- 『笑っていいとも!』の企画で石膏の顔型を作ったが、その完成品はなんと新撰組の局長・近藤勇にそっくりであった。のちにその顔型は、濱口優がオークションで落札。
- 2008年5月22日 大竹まこと ゴールデンラジオ(文化放送)の番組の中で、芸人ほっしゃんの包茎の皮の中に携帯電話を入れられた。