ミスワカサ・島ひろしは、戦中から戦後期にかけて活躍した漫才師である。1941年、新芸演劇部の所属として、輝子・ひろしでデビュー。
「上方演芸会」「漫才学校」などに出演し知名度を上げる。1974年1月の中席の角座が最後の舞台。
2007年第12回上方演芸の殿堂入り。
メンバー
ミスワカサ(みすわかさ、1921年5月5日 - 1974年9月30日、本名:今岡鈴代):京都府京都市出身。極度の近視だった。レコード店の娘だったことで幼少から歌が好きだった。輝子としてデビューした、19歳で岡テル子の名で漫才に転向しミスワカナ(ミスワカナ・玉松一郎)の目に留まり、半ば強制的に弟子とさせられた。
島ひろし(しまひろし、1912年10月28日 - 1989年4月30日、本名:三浦定四郎):はじめ島陽之助一座(島田洋之介・今喜多代の島洋之介とは兄弟弟子)という、その一座で原章三郎を名乗り「歌う剣戟」を売りにした吉本興業所属の劇団にいたが、本人曰く「あまりの下手さに愛想をつかされ」て漫才に転向したという。晩年は関西演芸協会会長を務めた。