平和ラッパ・梅乃ハッパのプロフィール、ニュース、ブログ、画像、ウェブ、動画、2chなどの最新情報
平和ラッパ・梅乃ハッパは音曲漫才コンビ。吉本興業所属。
メンバー 平和ラッパ(へいわ らっぱ、1943年8月10日 - )本名は生井博司。 - 現在は3代目。
- 大阪府大阪市出身。
- もともとは先代の平和ラッパ・日佐丸の漫才をラジオで聴いて感動しファンレターを送る、それがきっかけで楽屋や寄席に呼ばれるようになる。その後弟子入りを志願するも先代に断られる。その後も楽屋に通いつめ芸を磨き1年後に許可が下りる。1962年に漸く弟子となる。
- 松竹芸能に所属。山乃たかしの名でスリーナイスという音楽ショウを結成。平和勝治(しょうじ)の名で平和勝次(現在は演歌歌手)とギター漫才を行っていた。勝治・勝次では名が紛らわしいので勝一と改名、コンビ解消後、平和二郎と組む、すぐに音楽ショウトリオOHKを結成したがそこも解消。後3代目を襲名して「ラッパ・日佐丸」を復活させたが、先代と異なり「アホ」を売り物とした笑いではなく、あくまで従来通りのギター漫才を貫いた。
- コンビ解消後、梅乃ハッパとコンビを結成。道頓堀浪花座を中心に活動していたが、吉本興業に移籍。
梅乃ハッパ(うめの はっぱ、1953年2月2日 - )本名は永井良治。 - 秋田県出身。平和ラッパ・梅乃ハッパとして現在活躍中。相方は平和ラッパ。立ち位置は右。血液型O型。
- 1974年にルーキー新一に師事。ミッキー修を名乗り、当初吉本新喜劇に所属。ルーキー新一の脱退に伴い行動を共にしてルーキー劇団の旗揚げに参加し地方公演で初舞台。以降、ルーキーの付き人・側近として行動を共にしていた。1975年ルーキーが東京に移駐した際は、相棒として漫才コンビを結成して浅草松竹演芸場に連続出演を行い、ルーキーの最期も看取った。その後大阪に戻り松竹芸能に所属し、トリプルパンチのメンバーとなっていた。
- 亭号の「梅乃」は「ハッパ」にかけたものだが、師匠であるルーキー新一の漫才師時代(梅乃松夫)の亭号でもある。
出演番組 - 「ラッパ・ハッパの笑いのおもちゃ箱 」(OBC、土曜11:30~45)

|
|
|
|