略歴
17歳の時、大映から映画俳優としてデビュー。師匠・市川雷蔵のもと数々の作品に出演。雷蔵没後は勝新太郎を師に、大映で活動。その後、歌手、声優(洋画の吹き替え)、テレビドラマ『プレイガール』、テレビ番組のレポーター等を経て、北海道・STVラジオの『日高晤郎の奥様広場』『日高晤郎の朝からなんですが』等を担当。
そして1983年4月より、同局にて3時間のワイド番組『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』がスタート。歯に衣着せぬ毒舌は、時として放送局のSTVやその関係者、さらに札幌テレビのキー局で大株主でもある日本テレビの番組自体にも向けられるが、一部の熱烈な支持を集めて後に8時間に、更に9時間に拡大され、放送開始から20年以上の今でも支持を得ている。STVラジオのホームページでは、ネット配信の受付も毎週先着順で行っている。
舞台やショーに限らず、テレビの視聴者やラジオの聴取者(リスナー)のことを「お客様」と表現し、自らを「話芸人」と称している。
1989年10月から1994年12月まで生放送されたSTVテレビ『日高晤郎のスーパーサンデー』では、勝新太郎、益田喜頓、カルーセル麻紀などの彼の多彩な交友関係をかいま見る事ができた。
また、「ひとり語り」、ディナーショー、テレビやラジオのCMなども北海道内で精力的にこなしている。また、数年前からディナーショーは今年で最後といいつつ、2007年末にもディナーショーは行われた。ディナーショーは2008年末にも行われることを、2008年2月9日の日高晤郎ショーで明かした。
2005年には、芸能生活45周年を迎えた。