来歴・人物
横山エンタツの次男であるが、尊敬する人物は父の相方であった花菱アチャコであると語っている。中学時代は、父親が喜劇人エンタツであることを知らなかったらしい。関西大学入学後の1958年、花登筺に弟子入りし、1959年には劇団「笑いの王国」の旗揚げに参加。
同劇団解散後、1962年に吉本興業入り。1963年には早くも吉本新喜劇の座長に抜擢され、岡八郎や原哲男、のちには桑原和男らとのコンビで活躍する。また、岡八郎とは漫才ブームの時期に、コンビを組んで漫才をしたこともあった。
ニット帽にシャツ、腹巻、ニッカポッカズボンで、目の下に隈、鼻を赤くしてのスタイルが多く、泥棒役や土木作業員役が主な役どころ。特に原哲男との独特のボケツッコミで知られ、新喜劇では本名の「京三」を役名として使っていた。同時に「てなもんや三度笠」などのテレビ番組にも出演する。
1989年、「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始した吉本新喜劇を退団。その後は、多数の映画やテレビドラマに出演し、新境地を開拓した。
また、2001年、ダウンタウン、東野幸治、ココリコ、ロンドンブーツ1号2号、山田花子、藤井隆、間寛平と期間限定ユニット「Re:Japan」を結成し、NHK紅白歌合戦に出場した。
2002年8月に脳腫瘍の摘出、2003年5月には自宅で入浴中に低酸素脳症で倒れ入院し、現在は療養中である。