来歴
サラリーマン生活(「甘栗太郎」の社員)を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。1988年NHKテレビのドラマ「翼をください」で芸能界デビュー。当時の所属事務所は太田プロ。アントニオ猪木の物真似(猪木自身が公認している)一本で勝負するスタイルで、春一番自身、猪木信者でもある。酒が大好きで、よく体を壊していた。あまりにも飲みすぎる春一番を見かねて、ビートたけしが自炊するようにと炊飯器をプレゼントしたが、その炊飯器のなかにウイスキーを入れて飲んでいたという。春一番の営業は「1、2、3、ダァー」のかけ声だけでギャラがとれる、最もコスト・パフォーマンスの高い営業だと水道橋博士にギャグにされている。
それまでの猪木のモノマネの定番であった(アゴを突き出し)「何だコノヤロー!」を初めてやらず(要請されれば仕方なくやる事もあるが)、純粋に猪木のトーク(主にマイクアピール)のモノマネを行ったタレントでもある。披露した当初は若い女性の客に全くウケなかったが、裏では控えの芸人仲間やスタッフが大爆笑していたという。
あまり知られていないが、猪木だけでなく長州力や山本小鉄のモノマネも出来る。かつて長州は春に会うと「お!会長!」と声を掛けたと言う。
2000年頃、猪木の活動がプロレスファンや総合格闘技ファンの間で注目を集めるようになると、春一番自身のオファーも増えるようになり、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春一番単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。
2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は肺膿傷)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木には回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席しているとのこと。
2006年12月31日、フジテレビの「最強運2006ランキング大検証SP」に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。
アントニオ小猪木、アントキの猪木に地位を奪われかけている。しかし、猪木モノマネの第一人者であることに変わりはなく、他の芸人が猪木のモノマネをすると「春一番さんのモノマネですか?」と言われることも多い。ただしアントニオ小猪木の場合は試合中の猪木の動きのモノマネ、アントキの猪木の場合はモノマネを応用したなりきりネタを主に披露しており、一方春一番の場合は猪木の純粋な話し方のまねが多いという、差別化された特徴がある。