概要
松竹新喜劇の役者出身コンビ。1968年にコンビ結成。藤山寛美が名付け親。東京浅草の木馬館などで「ちょっと待ってね」のギャグで人気者に。
1970年、夢路いとし・喜味こいしの勧めで大阪に戻り活躍。
1977年にコンビを解消するが、1979年に復活。
2005年でデビュー35周年、そしてNHKの上方演芸ホールにて師匠の喜味こいしの前で本人の往年の漫才ネタを披露した。
2007年師匠喜味こいしの往年のネタ「親子丼」「ジンギスカン」を現在風に改作して継承、2代目いとし・こいしの名前を継ぐことになっていたが、同年5月15日、はな寛太が食道癌のため死去。享年61。いま寛大の今後の活動は舞台俳優を中心に活動予定。