生涯・来歴
戦後、三遊亭柳枝の柳枝劇団に参加して、ミヤコ蝶々の弟子となり鈴夫と名乗る。
1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成。後に夢路いとしに相談して南都雄二に改名。
1952年、秋田實・小林一三の宝塚新芸座に参加し、夢路いとし・喜味こいしや秋田Aスケ・Bスケ、笑福亭松之助らと舞台俳優としても活躍する。その後、「漫才学校」「夫婦善哉」(いずれもABCラジオ)の司会などで「男前の雄さん」として人気者となる。
蝶々との夫婦仲や芸名の由来などについては、ミヤコ蝶々の項を参照。
1973年に持病の糖尿病がもとで死去。48歳。
映画俳優としては東映や大映の映画に数多く出演、特に勝新太郎主演の悪名や兵隊やくざではシリーズで出演している。姉さん女房の蝶々とのイメージからか、女の尻に敷かれ、少々頼りない男のような役どころが多かった。
ミヤコ蝶々・南都雄二として、第11回上方演芸の殿堂入り。