経歴
1975年に劇団テアトル・エコー入団。1977年、ロルフ・シャレと出会いパントマイムの道を志すようになり、1987年にはパリへ単身渡航し修業に励んだ。
コント集団東京バッテリー工場に参加し、ザ・テレビ演芸にて二代目グランドチャンピオン。脱退後ピンで再挑戦し、七代目グランドチャンピオンに輝く。
1985年に大竹まこと・斉木しげる・きたろう・竹中直人・いとうせいこう・加藤賢崇らと結成したギャグユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に参加し活躍。
1988年、いとうとファンキー・キング名義で"FUNKY KING Part.1"をリリース(小林克也・ヤン富田プロデュース)。ジェームス・ブラウンの『セックスマシーン』 "Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine" をカバーし、「ギロッポン」「広尾な」「沖識名」等のシャウトの応酬が、一部でカルト人気を博す。
1992年に「中村ゆうじ」から本名の「中村有志」へ改名し、以後はテレビ番組の司会・リポーターや舞台など幅広く活動している。
2007年には、旭化成ホームズのヘーベルハウスシリーズ『LUFT(ルフト)』のTVCMへ夫婦で出演(同商品の新聞広告にも夫婦で登場)した。