来歴
プール学院高等学校卒(女優の八千草薫、三ツ矢歌子の出身校)。幼年期は、父親の仕事の都合でインドネシア共和国(ジャワ島)に育ったため、日本語がほとんどしゃべれなかったという。ちなみにこのとき現地人からは「ノニー」の愛称で呼ばれていた(「ジャイケルマクソン」2006年5月11日放送分での本人談による)。
千日前にあった大阪劇場の専属女優として活躍の後、1967年、梅田コマ劇場「宮城まり子自叙伝」で吉本新喜劇にデビュー。20代~30代の頃は新喜劇のヒロインとして、藤井信子、山田スミ子に続くマドンナとして活躍、井上竜夫、末成由美らと共に、長年に渡り吉本新喜劇を支えた。1989年「新喜劇やめよッカナ!?キャンペーン」で看板役者が次々と抜けてゆく中、桑原和男、池乃めだからと共に新喜劇に残留。現在でも新喜劇の舞台に立ち続けている。
近年の役柄は、舞台の主人公もしくはヒロイン、そのヒロインの婚約者(山田亮が演じることが多い)の母親役、旅館の女将役、売店のおばさん役が多いが、たまに女学生の役もこなす(セーラー服姿は大変なインパクトを持つ→ヒロイン時代が長く、その後半、年齢上厳しかったにもかかわらず、セーラー服等、10代・20代の役をこなしており、その時代は誰もつっこめなかった。現在はそれを転じさせて使っている)。またその一方で、五十嵐サキ・小籔千豊・山田亮・伊賀健二・小米良啓太ら若手の育成にも余念がない。