来歴・人物
1958年6月、石井均一座の結成に参加し、ここで伊東四朗、三波伸介、財津一郎らと知り合う。はじめ三波と組んで活動していたが三波が一時期大阪に行っていた間、伊東とコンビを組む(この時、伊東は「三波伸介」の芸名を使用)。
1961年、石井均一座が解散。三波・伊東と共に『ぐうたらトリオ』を結成(戸塚がリーダー)。翌年『てんぷくトリオ』と改名した。この名前は当時人気だった『脱線トリオ』(由利徹・南利明・八波むと志)のもじりであるともいう。
てんぷくトリオは次第に人気が出てきて舞台やテレビでの活動が増えていく。
1967年には『てなもんや三度笠』甲州編に出演。
1972年からNHKの『お笑いオンステージ』内の『てんぷく笑劇場』に出演するが、その後間もなく病気により休養、入退院を繰り返していた。翌1973年5月12日に、42才の若さで逝去。死因は胃癌であったと伝えられた。戸塚の早すぎる死はその後の”残された者達”三波・伊東両名のそれからの芸能生活に大きく影響したといわれた。