来歴
1960年に花登筐が主宰する「笑いの王国」入り。もともとは大村崑のそっくりさんとして登場。「笑いの王国」の先輩で、浜が師事していた花紀京と共に1962年6月に吉本に入門。花紀からは厳しく鍛えられた。新喜劇では、アメリカかぶれのキザなお坊ちゃんやキザなヤクザという役どころが多く、ギャグ「…じゃあ~りませんか」に代表されるように大阪離れした奇異な言葉遣いでまず観客の注目を引き付け、そのあとバリバリの大阪弁で劇にオチをつけるというコントラストで大人気となった。元々は「浜裕二」を名乗っていたが、1989年に事務所が東京進出にあたり芸名を改称した。アメリカのテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」にちなむ。「チャーリーズ・エンジェル」の映画版の公開時には、「チャーリー浜ズ・エンジェル」として映画の宣伝に参加した。
1991年、自身も出演したサントリー「ポケメシ」のテレビコマーシャルでは、吉本新喜劇でおなじみのギャグ「…じゃあ~りませんか」が大きく話題となり、同年の第8回日本新語・流行語大賞(自由国民社)で年間大賞に選出され、同時進行で行われていた吉本興業の東京進出に大きく貢献、初の東京公演や全国ネットでも新喜劇が大きく取り上げられ新喜劇ブームの火付け役となった。これをきっかけに、新喜劇では重鎮ポジションに昇格した。
1990、1991年には2年連続でNHK紅白歌合戦に応援合戦で出演する。
新喜劇のメンバーの中で後輩に対する指導が厳しく、山田花子をビンタした事件は有名。最近では、舞台中にセリフの順番を間違え、更に誤魔化そうとしたアドリブもすべってしまい客の失笑をかったたいぞうに「(芸人が客に)笑われてどないする!笑わせんかい!」と激怒した。これは花紀京からよく言われたセリフでもある。
師匠の花紀や、弟弟子にあたる間寛平と同様に南海時代からの熱心な福岡ソフトバンクホークスファンとして知られ、南海時代にはなんばグランド花月の近くにあった大阪球場で開催されていたファン感謝デーには毎年の様に参加していた。また、1999年のダイエーホークス優勝時にはスポーツ新聞にファン代表の一人としてお祝いの言葉を寄稿した。
『素のよしもと』によれば、二日酔いで舞台に立ったときに「ごめんください」を「ごめんくさい」と、言い間違えてしまった。ところがこれが観客の大爆笑を誘い、一気に人気者になったという。
吉本の中では、故横山やすし、オール巨人、中田カウスと並ぶスパルタぶりを誇るが、一方で「他人には厳しいが、自分にはとことん甘い」と、他の新喜劇メンバーからは批判の声も強い。しかしながら、ファンサービスには非常に熱心で、街中などで声をかけられると、おなじみのギャグを披露したりプライベート面での評判は上々のようである。
現在も新喜劇には月1-2回出演するが、ここ数年は若手(「金の卵」組)並みに出演時間が短くなっている。ストーリーの本筋にさほど影響しない役柄(主に村長や町内会長役)で、持ちギャグを披露して3分程で退場することが殆どである。どの座長でも出演するが、地方公演の出演や演劇、舞台などNGK以外の出演が増えている事からも現体制に不満がある模様。そのせいか、新喜劇で以前のような活躍を期待する意見も多く、もう少し舞台に積極的に出てはどうか、と言う批判も少なくない。
2005年12月20日に大阪で開かれた「ファン感謝祭」の、小籔千豊が進行のフリートークコーナーで、「もう帰っていいですかね」と発言し、自ら舞台に溶け込もうとしていない感がある。この姿勢をめぐって、対照的に若手と積極的に活動する桑原和男と意見が対立しているという(前出の「他人には厳しいが、自分にはとことん甘い」態度の表れ、とみなされているようである)。レイザーラモンHGに関しても「お前はものすごいスピードで間違った方向に進んどるわ」と発言し、「面白いやん」と肯定派の桑原と意見が対立した。小籔にもオールザッツ漫才2005のネタにおいてほぼ名指しに近い形(名前は伏せたが語尾に「じゃあ~りませんか」をつけた)で批判されている。チャーリー浜と桑原の共演はファン感謝祭以後皆無になっていたが(ファン感謝祭以前にはたびたび共演していた)、2006年7月の公演で久しぶりに共演する。しかし、それもよくよく観察すると桑原がはけてから、浜が入場しており厳密には「共演」とは言えない。
毎年、確定申告には初日に一番乗り申告に訪る事がほとんどで、職員に対し「あなたどなた?僕チャーリー」と登場したり(職員も見事にコケている)「確定申告は早めに済ませようじゃあ~りませんか」とギャグで締め括るシーンが関西圏のニュースで例年、取り上げられている。
顔が大村崑に似ていた為に、無名時代『とんま天狗』の殺陣のシーンでは一部代役を行った経験があり、それが縁で後に舞台で「コンチャーズ」として共演した事もある。浜自身、大村を師匠と呼んで慕っており、その際に大村から受けた『下品なネタはするな・シモネタはするな・舞台で弱者を苛めて笑いを取るな』の教えを現在も頑なに守っている。
離婚歴が4回あるいわゆる「バツ4」であり、離婚回数は吉本の中でもナンバー1である。その原因は、主に過度の飲酒癖によるものではないかとされる。
安倍晋太郎(元内閣官房長官。安倍晋三前首相の父で、すでに故人)の写真を見たビートたけしが、「この人チャーリー浜?」と発言した。