玉子屋円辰(たまごやえんたつ、本名・西本為吉、1864年-1944年6月19日)
幼少の頃から河内音頭や江州音頭を習っており卵売りの行商していた父に伴い、お客に江州音頭披露して人気を博す。
尾張(名古屋)に古くからある伝統芸能「尾張万歳」、「三河萬歳」の中の「伊六萬歳」の名手の平松佐助入門しその後は1905年、大阪の天満天神で常打の小屋をかけた(小屋に「名古屋萬歳」の看板を揚げる)のが,「音曲万才」「三曲万歳」(胡弓・鼓・三味線による賑やかな万才)として始めた。晩年は弟子を連れ全国各地を巡業して回った。