来歴・人物
大阪府八尾市立安中小学校時代は、ボーイズリーグ八尾フレンドに所属。4年後輩に桑田真澄がいた。八尾市立成法中学校時代も野球部で活躍、高校はスポーツ推薦で強豪の大商大堺高校に進学した。しかし、ベンチのサインが覚えられずにレギュラーになれなかった。さらに、そのときの監督が、読売ジャイアンツに在籍していた山本幸二の兄で、怖かったという。高校在学中から吉本興業に入り、なんば花月の舞台進行役を経てぼんちおさむに弟子入り。その後吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。
高校時代、友人に「次に来る快速電車に乗りたいから何とかして停めてくれ」と無理を頼まれ(脅され)素っ裸で線路に突き落とされたジミーが身を挺して電車を停めたという武勇伝を持つ。因みに後日、ジミー自身、高校停学の処分を受けたうえ、鉄道会社から請求された賠償金、数百万円を両親が払わなければならないという事態になってしまった。
明石家さんまが運転手としてジミーの面倒を見るようになってからは、さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に付けていく。さんまと出会った当時のジミーは、吉本興業からは半ば見捨てられている存在であった。吉本社員の「売れるわけがない」という発言は彼ら二人の、特にさんまのモチベーションに繋がった。なお、この運転手時代に、料金所で車の窓を開けるのを忘れて、手を窓に思いっきりぶつけて手を骨折してしまったというエピソードがある。
特に、人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。「ジミーちゃんやってる?」と振られたあとの「やってる、やってるぅ」や、「ジミーがんばれよ」と振られたあとの「お前もがんばれよ!」、股間を触られたときに発する「ふるさとー」または「エクスタシー」など。これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的に人気を博した。(「やってる、やってるぅ」のギャグ誕生当時は、手を股間付近で動かしていたが、明石家さんまにそれはまずいと言われ、顔の付近で動かすようになった)。
芸人として絶頂期を迎えていた1996年頃に、後述するテレビ番組の企画によって芸術の才能を見出され、芸術家の道を歩むことになった。松本人志は引退に際し、「もったいないな!あいつには誰も勝たれへんで!他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を絶賛していた。またビートたけしも、さんまのフリに確実にギャグで返すジミーに対して「パブロフの犬の様な条件反射すごいな!」と絶賛している。
萩本欽一に「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と言われた。しかし、個室で2人きりで話をして、部屋から出てきた萩本の第一声は「天然だったね…」というがっかりした声であった。これが、「天然ボケ」という言葉の由来であるといわれている。
山崎邦正も、初対面でジミーと個室で2人きりになったときに、山崎が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している。
異常に嗅覚が鋭く、ある番組の企画で犬に勝ったことがある。絵画を描くとき、絵具は水性をよく使うが、油性は苦手らしい。とある番組でその理由を調べるために、油性絵具のにおいを嗅がせたところ、嗚咽にもだえ苦しんでいた。油性絵具のにおいを受け付けないため、絵画ではあまり使わないらしいことがわかった。またパニックに陥ると頭や顔を掻きむしる癖がある。
現在は画家に専念しているが、さんまの舞台公演への出演、それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。しかしながら、妻の親族から、テレビで昔のようなギャグやボケをするのを禁止されているらしい。しかし、振られるとついつい反応してしまうという。『ひょうきん予備校』(フジテレビ)や『欽ドン!』(同)などで、ダウンタウンとも付き合いが古く、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)の罰ゲームスペシャルにビデオ出演している。
さんまの舞台公演「明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ」については、画家転向後の一時期は出演を見合わせたが、2002年に10年目の記念ということでゲストとして復帰。2004年のPart.11以降は、再びレギュラー扱いになっている。
『ひょうきん予備校』に出演していたときは(本名の大西秀明名義)現在では考えられないほどのしっかりもののキャラで、キレのあるボケやツッコミで周囲を爆笑させていた。
2006年出演の『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)にて、岡本太郎は目標、明石家さんまは親みたいなものと答える。