略歴
車の芸能生活の出発点は当初芸人としてではなく、裏方(芸能プロダクションの事務員)としてであった。 大学卒業後コント55号が所属する浅井企画に事務員として入社したが、萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だった、いわたがん太(のちに岩がん太と改名)とコンビを組む事になり、芸人に転身。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉。 しかし、がん太が起業(当初魚屋、のちラーメン店へ転業)のため芸能界を引退する事となり、コンビを解消。結局タレントではなかっただん吉が芸能界に、しかも芸能人として残る結果となった。
1976年から1994年まで放送された中京テレビ系のバラエティ番組『お笑いマンガ道場』で全国的に有名となり、プロ顔負けの漫画を披露し、人気を博した。最近はマンガ道場での共演者であった漫画家 鈴木義司、富永一朗の推薦を受け、漫画家活動も行っている。
老婆の格好に扮する芸があり、九州を中心に活動したばってん荒川、吉本新喜劇の桑原和男と並ぶ「お婆さんキャラ」を持つ。また、役者としても数多くのドラマ、映画に出演している。
日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」では約2ヶ月おきに出演し、「ミスターぶらり旅」の異名を取る。
コント55号全盛時にがん太と共に萩本と「同棲」して彼の身の回り一切を支えた、真の「欽ちゃんファミリー」であり、かつ萩本の一番弟子であるのだが、『お笑いマンガ道場』以降の単独活動の結果、むしろ萩本との関係を知らない人の方が多くなってきている。