メンバー
上田晋也(うえだ しんや、1970年5月7日 - )、血液型O型‐星座おうし座):熊本県熊本市出身。早稲田大学教育学部中退。:ツッコミ担当。デビュー当初はボケを担当していた。「たとえツッコミ」という分野を確立し、その比喩は的確で意外性に富んでいる。持ちギャグは「ペローン!」「天天パ! 天天パ!」「○○だからね」(例:世良だからね)など(ラジオ番組で使用することが多い)。持ち芸はうんちくを制限時間内に披露すること。:熱狂的な長渕剛ファンで、一番好きな曲は「ろくなもんじゃねえ」。:2004年に結婚。2006年6月に第一子となる長女が誕生した。:初体験は21歳 「めちゃイケ」出演時に有田が発言
有田哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日-、星座みずがめ座 ):熊本県熊本市出身。立教大学法学部中退。:ボケ担当。デビュー当初はツッコミを担当していた。:『銭形金太郎』や『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』では「どうも、僕です(略して「どぼくです」「DB」)」の言葉から入る(オールナイトニッポンではジングルでも使用する)。2007年1月4日放送のミドル3では、去年の反省点を「軽く陰茎」と語っていた。
海砂利水魚から改名
- 2000年に『新・ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)におけるコンビ名改名対決でさまぁ〜ず(当時はバカルディ)に敗北し、同郷のウッチャンナンチャン内村光良により“くりぃむしちゅー”への改名を命じられる。名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから(後に、実際は野菜嫌いであるためクリームシチューに入っている具のほとんどが食べられないから、それほど好きではないと発言)。また、同番組では対決企画が3回行われたが、仮に1回戦で負けた場合、コンビ名を“ザ☆トライ”と改名させられる所だった。上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったこともあって、当初“くりぃむしちゅー”は半年間の期間限定ということだったが、期限切れが近づくにつれ、本人たちも元の名前に戻すかどうか迷い始め、ファンを集めた討論会を同番組で行ったものの、結局結論は出ず、最終的には内村がビリヤードで落とした球の数字が偶数だったら「くりぃむしちゅー」、奇数だったら「海砂利水魚」というゲームを行い、結果14番が落ちたため、現在も「くりぃむしちゅー」を使用している。しかし「改名でブレイクした」という世間の認識に対して、当人達は日経エンタテインメントのインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と強調している。
- さまぁ〜ずとは改名対決の前から険悪で、お互い「もう二度と出てくるな」「一緒に出ると好感度が下がる」などさんざん言い合っていたが、改名対決終了後はほどなく和解し『内村プロデュース』『ミドル3』などの番組で仲良く話し合っている。無論実際に険悪なわけはなく、番組の演出またはネタである。
- 改名以後はコント重視の作家志向な芸風から一転、トーク中心のメディア露出に重点を置くようになった。単独コントライブも行ってはいたが、これも殆どが“海砂利水魚”時代の持ちネタであり、2003年にファンクラブ解散と同時に中止する。以降、くりぃむしちゅーのネタは元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)でしか見ることが出来ない。
- 転機となったのは2003年。上田がテレビ番組『虎の門』(テレビ朝日)の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降、上田は“うんちく王”の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々の執筆やテレビ番組・ラジオ・CM出演とブレイク。「たとえツッコミ」も有名になった(その一つの「ロッキーの撮影じゃないんだから」はYahoo!検索急上昇ワードランキングの2008年2月14日付けで第3位になるほどであった)。
- 2004年10月5日、改名後初の冠番組、『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)が放送開始。
- 2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』(日本テレビ)の収録中に発表された。因みに第一子誕生は『おしゃれイズム』で発表された 。
- 2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組、『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』(日本テレビ)が放送開始(2007年3月に終了)。
- 久本雅美、篠原涼子と共に、2006年8月26日から8月27日にかけて放送された『24時間テレビ29』のチャリティパーソナリティに抜擢された。