略歴
法政大学に在学していた1981年、教員試験に落ちたことがきっかけでお笑い芸人になることを決意する。とりあえずテレビ局のADとなり、前説と拍手の練習を観客に促す仕事をしていた。ちょうどその頃に相棒を失って次の相方を探し中のそのまんま東(現:東国原英夫)に見出され、お笑いコンビツーツーレロレロに加入(当初ツーツーレロレロは東と丸山昭範のコンビだったが丸山が東との約束だった3ヶ月契約を満了し芸能界を引退したため東が相方を探していた)。当時の芸名は大森クンタ。
その後ツーツーレロレロは「お笑いスター誕生」に出演して注目を集める。このときカージナルスとも知り合い。軍団の草野球チームに誘う中で、後にたけし軍団に加わる。全員の名前が刷新されたタイミングでギターを弾きつつ歌を歌うのが大好きな為に大森の芸名は大森うたえもんとなる。
たけし軍団においては、下ネタを連発する他のメンバーとは異なり、パロディーや替え歌を中心とした芸風で、「軍団の良心」と呼ばれ、ビートたけしのスポーツ大将や夢がMORIMORIのスーパーキックベースではチームの主砲として活躍した。しかし、役者を志し軍団を脱退。独立を希望し、その際たけしと脱退を巡り喧嘩別れになり、圧力を掛けられたとも言われている。但し、破門はされず。現在はアクターズプロモーションに所属して執筆活動や番組の構成などを行っているが、師匠のビートたけしとオフィス北野所属のタレントとたけし軍団との共演は軍団脱退時のトラブルの影響から不可能になっている。 独立をたけしに伝えたところ、たけし「これからどうするんだ?」、大森「所さんの事務所にお世話になります」たけし「じゃあ軍団で出ているスーパージョッキーやなんかはどうするんだ」大森「これからも出させて貰います」、たけし「何を馬鹿なこと言ってんだ。事務所を辞めた奴を出せるわけないだろ!」、大森「考え直してきます…」といったやりとりがあったらしい。
テレビではメインを張ることがあまりなかったが、地方局ではメインMCを担当することも以前はあり、例えば静岡第一テレビの「JanJanサタデー」という番組で、ラサール石井の後を受け番組司会を担当したこともあった(1990年4月~1991年3月)。また、出身の岡山では「ニョキニョキテレビ・しらべーるの冒険」(岡山放送)の司会を長く務めた。
作詞・曲を手がけたマキシシングル「Wedding Eve」をリリース。結婚式で新婦が両親に捧げる歌として、結婚式で歌われたり、営業も増えた。コーラスには同郷出身で交友の深いミュージシャンの甲本ヒロトが参加し、カップリングではザ・ハイロウズの千年メダルがカバー収録されている。
東国原宮崎県知事就任後は、元相方であったことから、サタデースクランブルの『東国原劇場』のコーナーに不定期に出演。知事にインタビューをするなど、レポーターとしても活動している。また、自身も宮崎に移住し、東国原の似顔絵を地元企業などに有料で提供する会社「びっきょ」を立ち上げ社長に就任した。元々、東国原の後援会がやる予定であったが、公職選挙法に引っかかるとの指摘から会社名義で提供する事となった。その後芸能活動に専念するとして2007年10月31日付で退任。
2007年10月に東京のタレント事務所「サラ・エンターテイメント」が、宮崎市のアゲインビル(ホテルメリージュ)内に声優や俳優などの養成所を開校する http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=621&catid=74 「才能育て全国へ」 宮崎市に声優・俳優養成所 - 県内のニュース - miyanichi e press http://www.sala-e.com/academy/ サラエンターテイメントアカデミー のに伴い、養成所の校長として就任する予定。養成所には講師として宮村優子など、第一線で活躍する人物を迎えるようである。また、大森は「宮崎をアキバ化したい」と語っている。
宮崎には、すでにEXILEが立ち上げたダンススクールEXPGの宮崎校が開校しているが、声優や俳優などの養成所は宮崎初の開校となる。先日、宮崎県庁を訪れ、会社として100万円を寄付。東国原知事とのツーショットがテレビに流れた。知事は「たった100万円かよ・・・いやいやありがとう」と笑いながら発言していた。