来歴・人物
NSC8期生。同期には千原兄弟・FUJIWARA・バッファロー吾郎・なだぎ武(ザ・プラン9)などがいる。元・やるじゃねぇかーずの浦井崇とマニアックというコンビを組んでいた時期がある。
1993年、吉本新喜劇入団。2001年、東京に拠点を移しルミネの新喜劇班に所属する。福山雅治やペ・ヨンジュンのものまねが有名である。『福山エンヂニヤリング』で福山本人と共演したこともある。2006年5月16日には『笑っていいとも』「テレフォンショッキング」に福山本人から紹介され出演(前日の電話で「あ、どうも"ニセ福山"です。」と会場内の笑いを取った)。スタジオには、福山から贈られたスタンド花束だけが出演祝いとして飾られていた。
「笑っていいとも!」では、放送終了後にタモリが「福山雅治君です」と言うドッキリがあった(勿論誰も出てこない)が、「福山雅治君です」に合わせて福山に扮した大山が出てきたことがあった。この時、大山は「いいとも!」観覧者から大ヒンシュクを買っている。
並外れた親バカで、自分の息子と公園でブランコの順番待ちをしてると、遊んでいるよその子供に「もうええやろ!さっきから待っとんねん!」と強引に割り込ませたことがある。松本人志はラジオ番組「放送室」でこのエピソードを取り上げ「あいつの理不尽さにも腹が立つし子供の教育にも良くない」と怒り心頭に発していた。
新喜劇には愛着があり、「テレビに出るのは顔を売るため。僕のことをテレビで知って新喜劇に来て欲しい」と語ったことがある。
常々髪型を気にしている。「やりすぎコージー」でルミネの楽屋に隠しカメラを置いて検証したところ、3時間ひたすら鏡を見ながら約2000回も髪をいじくりまわしていた。観客からは失笑が出てVTR後に彼自身がスタジオに登場したものの完全に引かれてしまっていた。同番組の企画「俺たちだって歌が上手い王座決定戦」でGLAYの「Winter Again」を披露する際、歌を披露した芸人で唯一彼だけカンペが用意されたものの、スタジオの暗さに加えサングラスを掛けていて殆ど見えず挙げ句の果てには歌詞を間違え、司会の今田耕司からは「大事故だ」と非難される始末だった。
学生時代は野球一筋で頑張っており、その頃から「伊丹の明石家さんま」という異名がつくようになった。
東京に本拠地を移しルミネを中心に活躍し、その給料でマンションを購入している。
同じ福山雅治のものまねで活動中のみっちーに対する嫉妬が強い。しかしその一方で、『あらびき団』(TBSテレビ)での共演を通じて「みっちーと意気投合した」と自分のブログで書いている http://hideo.laff.jp/blog/2008/04/post-bd4e.html 大山英雄ホームページ(2008年4月18日)より 。