来歴・人物
コメディアンを志し、浅草のストリップ劇場「フランス座」に出入りするようになる。1959年、スリーポケッツの渥美清脱退に伴い、新メンバーとなった。しかし、スリーポケッツは次第に勢いを失い解散。海野の活動も俳優の仕事へとシフトした。役者としては一本調子でメリハリに欠ける演技が目立ち、大成しないまま終わった。
昭和40年代後半(1970年代)は東京城東地区の家電量販店・新栄電機産業のテレビコマーシャルに出演していたが、やがて芸能界に見切りを付け、引退。その新栄電機産業に就職して、竹の塚店の店長を任されていた。その後、2003年3月3日、同社は自己破産申請し事実上の倒産、竹の塚店は閉店となった。