来歴
地元の中学校を卒業後、集団就職で上京。しばらくは会社員として勤務していたが、漫才師を目指して1959年にコロムビア・トップ・ライトに師事。最初はリーガル天才門下のボーラ・レイ(後のケーシー高峰)と漫才コンビ「大空はるか・かなた」を組み、そこそこ売れたが長続きせず、間もなく同門の青空あきお(現・横山あきお)と「青空はるお・あきお」を結成し、人気を博す。
1971年にコンビ解散。その後はピン芸人としてNTV系列の『テレビ3面記事 ウィークエンダー』や『ルックルックこんにちは』などにレポーターとして出演し、主に下ネタを担当。俳優としてもドラマや映画などに活躍の場を広げる。特にピンク映画では渋い演技を見せ、スポーツ新聞の「風俗レポーター」としても活動中。